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マイケル・ジョーダン伝説47選!眠れなくなるほど興奮する話!

マイケル・ジョーダン伝説47選!眠れなくなるほど興奮する話!

2018年06月20日

 

こんにちは!ジョーダンマニアのスポエモンです!

ジョーダンといえば、NBAチャンピオンに6回も輝いたスーパースター。

 

正直、私はスポーツ選手の中でジョーダンが一番好きです。

 

そんなジョーダンの47個の伝説をまとめてみました!

 

幼少期からNBAを引退するまでの時系列順に紹介していきますよ!

 


マイケル・ジョーダンの伝説!幼少期〜NBAに入るまで編

伝説1) 生後3週間でシリアルを食べていた!

 

これはジョーダンの母であるデロリス・ジョーダンが明かしてくれたことです。

 

デロリスによると、どうやら、ジョーダンは赤ん坊のときから他の子とは違ったんだとか。

 

なんと「ミルクでは足りなくて、生後3週間からシリアルを食べさせた」とのこと。

 

普通の赤ちゃんであれば、生後5ヶ月~6ヶ月からやっと離乳食を食べ始めるものですよね。

 

それを生後3週間って…

 

ジョーダンの母は、この時から「大物になる」という予感があったかもしれませんね。

 

ちなみに、私の母に確認したところ、私は生後4ヶ月から離乳食になったそうです。微妙だな…そりゃ大物になれないわw

伝説2) 子供のころは兄のラリー・ジョーダンと毎日1on1していた

 

子供のころからバスケが大好きだったジョーダンは兄のラリーと毎日1on1をしていたそうです。

 

父が作ってくれた手作りのコートでプレーしていたとのこと。

 

ジョーダンほどの選手であれば、兄よりもうまかったのだろうと思いますよね?

 

でも、 この頃は兄のラリーにいつも負けていたんです。

 

ジョーダンはあまりにも勝てないので「兄に勝てれば無敵になれる」と思っていたんだとか。

 

可愛い考え方ですよねw

 

この経験について、ジョーダンは「兄のおかげで闘争心がわいたよ」と語っています。

 

幼少期に、それほどの悔しい経験をしたからこそ、

 

ジョーダンの異常とも言える「負けず嫌いな性格」が出来上がったのかもしれませんね。


伝説3) レイニー高校に進学したころは普通の選手だった

 

ジョーダンのことをあまり知らない人は、その輝かしい経歴から

 

「小さいころから凄かったんだろ?」

 

と思ってしまいがち。

 

ただ、実際はそんなことは全然なくて、至って普通の選手だったんですよ。

 

高校に進学した頃は、全然期待されるような選手ではなかったんです。

 

でも、生徒としてはなかなか優秀だったそうです。

 

ユーモアに溢れた性格でクラスの人気者だったんだとか。

 

高校時代の国語教師だったマーサ・テイラーはこのように語っています。

 

 

マイケルは良い生徒だった。ユーモアセンスの持ち主で、クラスの人気者だったわ。

「ジョーダンの高校時代の国語教師マーサ・テイラー」

 

学校の先生からこんな評価を受けるなんて、そうとう良い生徒だったんでしょうね〜。

 

私は中学時代の先生から「元気はあるけど、不真面目」と評価されていたんですって…真面目にやっていたつもりなんだけどな…

 

伝説4) 高校2年生の時に大きな挫折を味わう

 

ジョーダンは、高校2年生のときに大きな挫折を味わってしまいます。

 

なんと、レギュラーから外されてしまい、試合にほとんど出られなかったんです。

 

この時のことを、当時の監督であるフレッド・リンチはこう語っています。

 

レギュラーから外したんだ。成長途中で素質はあったけど、まだレギュラーのレベルではなくてね。

「ジョーダンの高校時代の監督フレッド・リンチ」

 

バスケの神様とも言われているジョーダンをレギュラーから外すなんて!

 

なんとも、見る目のない監督だな…w

 

でも、ジョーダンはそんな挫折を経験しても諦めません。

 

逆に、燃えに燃えます。

 

そして、努力の結果、翌年にはレビュラーの座を掴んでいます!


伝説5) 名門ノースカロライナ大学の奨学金を獲得!

 

高校2年生で屈辱を経験したジョーダンは必死に努力して、翌年にはレギュラーを獲得しました。

 

しかし、得たものはそれだけではありません。

 

なんと、バスケの名門大学である「ノースカロライナ大学」の奨学金をゲット!

 

ただ、奨学金をゲットしのはいいものの、周りからはこんなことを言われていたそうです…

 

伝説6) 大学でもそんなに期待されていなかった

 

「大学を卒業したら地元のガソリンスタンドで働くだろう」 って言われていたんですって。

 

NBA入りはおろか、地元のガソリンスタンドって…

 

本当に期待されていなかったんでしょうねw

 

高校時代の数学教師であるジェニス・ハーディもジョーダンに期待していなかった内の1人。

 

選手として大成しないと思って、ジョーダンにこんなことを勧めたそうです。

 

数学科を勧めたわ。稼げるからよ!

「ジョーダンの高校時代の数学教師ジェニス・ハーディ」

 

どんだけ期待してないねん…

 

バスケの神様とも言われるような存在になって、何百億って稼いだんやぞ!

 

数学教師の何百倍稼いだわ!w

 

それにしても 、高校時代の監督といい、数学教師といい…. 見る目なさすぎな!!!w

 

でも、これだけの評価しかされていなかったのに

 

「バスケの神様」って呼ばれるまで上り詰めたジョーダンってやっぱり凄いですよね。

 

凄まじい努力をしたんだろうな。

 

逆に、期待されていなかったからこそ

 

「俺はもっとできる!」という闘争心が湧いて努力したという可能性もありますね!

 

俺もジョーダンくらい努力したらNBA選手になれたのかな…無理か!w

伝説7) 周囲の期待を裏切り1年生のときからスタメン入り!

 

大学に進学したジョーダンは周囲の期待を良い意味で裏切ります。

 

なんと1年生からスタメン入り!

 

当時の監督はディーン・スミスという人。

 

この人は、ノースカロライナ大学バスケ部を “名門” と言われるまでの強豪校に成長させた実績から「名監督」と言われていた程の人。

 

 やっぱり、見る人がみたらジョーダンの才能が分かるのかな?

 

でも、やっとジョーダンの才能がわかる人に出会ったなって感じ。

 

ジョーダンの才能を見抜いたスミスは名監督だな!あっぱれ!

 

伝説8) ジョーダンの人生を変えた1本のシュート

 

ジョーダンが大学1年生の時の1982年。

 

ノースカロライナ大学は、全米NO.1大学を決めるトーナメント「NCAA」で決勝まで勝ち上がります。

 

対戦相手は名門ジョージタウン大学。

 

この試合、残り32秒の時点でノースカロライナ大学が61対62で1点差を追う展開でした。

 

緊迫した空気の中、残り17秒でパスをもらったジョーダンは迷わずジャンプシュートを放ちます。

 

なんと、このシュートが入ってチームは逆転に成功!

 

そのまま逃げ切り、全米No.1の座を手に入れました!

 

その時の映像がこちら。

↓↓↓↓

 

最後にシュートを決めたのがジョーダンですよ。

 

このシュートを決めたことで、ジョーダンは一気に全米に名を知られる選手になりました。

 

まさしく、ジョーダンの人生が変わった瞬間です。

 

だって、これまでは誰も知らなくて、期待もされていないような選手でしたからね。

 

そんな選手が1本のシュートで全米に名を知られるようになったんです。

 

ジョーダン自身も、このショットで人生が変わったことを自覚していて、このようにコメントしています。

 

(あのシュートを決めたことで)僕の中で炎が燃え上がり止まらなくなった

 

このジョーダンが放ったショットは、彼のバスケ人生を語る上で絶対に欠かせないもの。

 

“ザ・ショット” と呼ばれていて、伝説としてずーと語り継がれています。

 

ついでに、この試合での豆知識も紹介しておきましょう。

 

相手チームには、後にNBAのスーパースター選手になるパトリック・ユーイング選手がいました。

 

そして、ジョーダンのチームメイトには「ジェームズ・ウォージー」や「サム・パーキンス」といったNBAのスター選手がいたんです。

↓↓↓↓

 

この試合ではジョーダンだけではなく、後のNBAで活躍する選手がいっぱいいたんです。

 

NBAファンにはたまらない豪華な顔ぶれが揃っていました。


伝説9) それからのジョーダンは誰もが予想できなかった大活躍!

 

“ザ・ショット”で自信をつけたジョーダンは大躍進を遂げます!

 

なんと、年間最優秀選手に2度も選ばれるほどに成長。

 

実力・人気ともに大学バスケ界のスーパースターになっちゃいました。

 

これには高校時代の関係者もびっくりしたでしょうね。

 

「地元のガソスタで働くだろう」と思われていた選手がスターになっちゃったんですから。

 

この活躍ぶりに、当時の監督であるディーン・スミスはこうコメントしています。

 

彼には自分を高める能力があった。あんな選手は見たことがない。

「ジョーダンの大学時代の監督ディーン・スミス」

 

名監督とも言われる人にここまで言わせるなんて…

 

やはりジョーダンの努力はそれほどまでに常軌を逸したものだったんでしょうね。

 

くぅうー。ジョーダンかっけぇええ!

伝説10) 大きな成長を遂げたジョーダンは大学3年生のときにNBA入りを決意!

 

大学3年生でNBA入りを決意したジョーダンは、

 

1984年のNBAドラフト全体3位で「シカゴ・ブルズ」に入団しました。

 

ここで気になるのが「NBAドラフト全体3位」という部分ですよね。

 

大学で年間最優秀選手を2度も獲得し、実力・名実ともに大学No.1と言っても過言ではないジョーダン。

 

それなのに「なんでドラフト1位じゃないんだ!」と思いませんか?

 

実は、当時のNBAは身長が大きい選手から獲得するっていうのが主流だったんです。

 

なぜなら、当時のNBAで210cm以上の身長があって、動けるセンターとなると1~3人しかいなかったから。

 

今でこそ、210cm超えの選手がゴロゴロいますが、ビッグマンがかなり少なかったんですよ。

 

しかも、今よりも世界が開けていなくて、ビッグマンが多いヨーロッパ系の選手はほとんどいませんでした。

 

なので、「アメリカ人で210cmを超える選手」というのはとても貴重だったんです。

 

参考までに、ドラフト1位は「アキーム・オラジュワン」で身長が213cm

↓↓↓↓

 

ドラフト2位は「サム・ブーイ」で身長が216cmでした。

↓↓↓↓

 

そして、3位がジョーダンで身長198cmです。

↓↓↓↓

 

伝説11) NBA入り前にオリンピックで金メダルを獲得!

 

1984年のロサンゼルスオリンピックにアメリカ代表として出場したジョーダン。

 

チームの主軸として活躍し、金メダル獲得に貢献しました。

大学生でオリンピック金メダル…やべえな。

マイケル・ジョーダン伝説!NBAに入ってから引退するまで編

 

「ジョーダン伝説!NBA入り前編」はいかがでしたか?

 

世界中に名を知られているスーパースターなのに、

 

意外と期待されていなかったりとかしてびっくりしたんではないでしょうか?

 

実は、NBA入りしてからも順風満帆だったわけではありません。

 

様々な逆境を乗り越えて「バスケの神様」と呼ばれるようになるまで成長したんです。

 

きっと、ジョーダンの人生からは色々と学べることが多いはず。

 

じゃあ、続いて、ジョーダンがNBA入りしてから引退するまでの伝説を書いていきますよー!

 

伝説12) ファーストシーズンから大活躍!

 

シカゴ・ブルズに入団したジョーダンは初年度から大活躍。

 

この年の1試合平均スタッツは

 

28.2得点

5.9アシスト

6.5リバウンド

2.4スティール

 

という素晴らしい成績。

 

圧倒的なオフェンス力でチームの主軸選手になりました。

 

そして「ルーキー・オブ・ザ・イヤー」を受賞。

 

この年のルーキーの中で1番優秀な選手という評価をもらいました。

 

ここからジョーダンがどんどん「バスケの神様」に近づいていくよー!

伝説13) 2年目のプレーオフから「バスケの神様」という異名が付き始めた

 

1985-86シーズンにNBA2シーズン目を迎えたジョーダン。

 

この年は怪我に泣かされ、レギュラーシーズンでは18試合にしか出場できませんでした。

 

しかも、そのうちスタメンで出場したのがわずか7試合のみ。

 

ジョーダンの凄いところは、それだけしか出場していないにも関わらず平均22.7得点を記録しているところw

 

出場試合こそ少ないですが、得点だけを見ると十分チームに貢献できていますよね。

 

でも、ほとんどの試合でジョーダンを欠いたブルズは成績がいまいちでした。

 

30勝52敗という負け越しでレギュラーシーズンを終えてしまったんです。

 

ただ、負け越しながらもカンファレンス8位に入っていたので、プレーオフには出場できましたけどね。

 

しかし、カンファレンス8位という成績だったので、

 

プレイオフ・ファーストラウンドでカンファレンス1位のボストン・セルティックスと対戦することに。

 

(この年のNBAチャンピオンはセルティックスです)

 

そして、セルティックスには、当時の超スーパースター「ラリー・バード」がいました。

 

ラリー・バード

↓↓↓↓

 

ラリー・バードはNBAチャンピオンを3回も経験。

 

その圧倒的な実績から、ジョーダンも憧れていたほどの選手です。

 

で、このセルティックスとのプレイオフ・ファーストラウンドGAME2でジョーダンが爆発。

 

まるで、レギュラーシーズンで試合に出られなかった鬱憤をはらすかのように。

 

なんと、63得点を記録したんです!!

 

この得点は、当時のNBAプレーオフにおいて最多得点記録。

 

まだ、2シーズン目の新人がこの記録ですから、

 

半端じゃない活躍ぶりであることはわかると思います。

 

そして、この試合を終えた後、ジョーダンの活躍ぶりにラリーがこんなコメントをしたんです。

 

今夜、神様が試合に来て、マイケル・ジョーダンという名前で遊んでいった

 

God came to the game tonight and played under the name of Michael Jordan

– by ラリー・バード(ボストン・セルティックス)

 

実は、このコメントが「バスケの神様」と呼ばれるようになったきっかけです!

 

このコメントが、このようにちょっとずつ変わっていったんですよ。

 

彼はマイケル・ジョーダンの姿をした神だ

↓↓↓↓

ジョーダンはバスケの神様

↓↓↓↓

バスケの神様

 

みたいな感じでw

 

皆さんは「バスケの神様」と気軽に呼んでいるとおもいますが、

 

こんな流れでそういう風に呼ばれるようになったんですよ!

 

ラリーがこのコメントを言わなければ、ジョーダンが「バスケの神様」と呼ばれることはなかったんです!!

 

面白いですよねw

 

その試合の動画があるので貼っておきます!

(※ちなみに、この試合はブルズが負けました)

↓↓↓↓

 

伝説14) 3年目から7年連続で得点王!

 

ジョーダンはNBAにデビューしてから、3年目の1986-87シーズンに初の得点王に輝きました!

 

この時の1試合平均得点が37.1です。

 

1試合平均で40点近くって…もはや神様超えてバケモノじゃんw

 

しかも、それから1992-93シーズンまでの7年間連続で得点王の座についています。

 

(これはNBAでシーズン得点王連続記録)

 

しかも、しかも、その後に1995-96〜1997-98シーズンでも3年連続得点王になっています。

 

ということは、合計で10回も得点王になっている。

 

もはや神様超えてバケモノ超えて宇宙人じゃんw

 

(これもNBA史上最多の得点王記録)

 

しかも、しかも、しかも、ジョーダンがNBAでプレーしたのは15シーズンなので、

 

10/15の確率で得点王になっている。

 

もはや神様超えてバケモノ超えて宇宙人超えて…これより上は何?

 

「なんで神様の上がバケモノなん」っていう疑問や批判の声は無視しますw

伝説15) 4年目のからプレーオフで3年連続同じチームに負け続けた

 

ジョーダンは3年目のシーズンから得点王に輝くなどして活躍。

 

周囲からは、すでにNBAのトップ選手として認められていました。

 

ただ、そんなことでジョーダンは満足していなかったんです。

 

逆に、自分への不満を常に抱えている状態でした。

 

なぜなら、ジョーダンはチームをNBAチャンピオンに導くことができていなかったから。

 

当時のスーパースターであるラリーやマジックは何度のチームをNBAチャンピオンに導いています。

 

ジョーダンは彼らに憧れ、嫉妬し、自分もチームをNBAチャンピオンに導くことを夢みていました。

 

この時のことをジョーダンはこうコメントしています。

 

ラリーやマジックは僕と違ってチームを優勝に導いている。僕も並びたかった。

– by マイケル・ジョーダン

 

そんなジョーダンに、いつも大きな壁が立ちはだかります。

 

それは「デトロイト・ピストンズ」というチーム。

 

ジョーダン率いる「シカゴ・ブルズ」はこのチームとプレーオフで3年連続対戦。

(ジョーダンがNBAにデビューしてから4年目のこと)

 

そして、3年連続敗退しています。

 

とても悔しかったね。毎回、同じ壁にぶつかる。

– by マイケル・ジョーダン

 

ピストンズはジョーダンを警戒して「ジョーダン潰し」を徹底していました。

 

ディフェンスはジョーダンに集中し5人がかりで止めにいくことも。

 

ジョーダン以外の4人は放置され、完全に舐められている状況でした。

 

この時のことを、ピストンズの選手だったジョン・サリーはこう語っています。

 

(ジョーダンが)「どうすればいいんだ」という顔だった。彼が60点や45点を取ってもまだ勝てない。

– by ジョン・サリー (デトロイト・ピストンズ )

 

ジョーダン自身はもちろん、ブルズファンも不満を募らせていました。

 

周囲はジョーダンの強調性を疑い「彼にチームプレーは無理だ」と決めつける始末。

 

ジョーダンもさすがにこれには堪えたようで、こんなコメントをしています。

 

得点王なのに優勝できないと言われて、我慢できなかった。

– by マイケル・ジョーダン

 

でも、ジョーダンは諦めません。

 

必ずNBAチャンピオンという夢を達成するべく、5年目のシーズンからはあることを決意します。


伝説16) 「失敗」のおかげでジョーダンは神様になった

 

3年連続ピストンズに敗北したジョーダンは 「優勝するためには変化が必要だ」 と考えました。

 

その変化とは「仲間の能力を引き出すこと」です。 要するにチームプレーですね。

 

おそらく「3年連続でピストンズに負ける」という失敗を経験しなかったら

 

ジョーダンの考え方がこれほどまでに変わることはなかったと思います。

 

なぜなら、それまでのジョーダンは自分で得点を取っていくタイプの選手だったから。

 

自分に対しての絶対的な自信と、異常とも言えるほどの「負けず嫌い」な性格がそうさせていました。

 

どれだけジョーダンが個人プレーに走っていたかを物語るエピソードを紹介しましょう。

 

ある試合で、ブルズの監督だったフィル・ジャクソンはジョーダンに対してこんなことを言ったんです。

 

「マイケル、誰がノーマークだ?」と。

 

実は、以前からジョーダンの個人プレーを問題視していたジャクソンは、

 

チームメイトのジョン・パクソンがノーマークの時にはパスするように指示していました。

 

パクソンはシュートが非常に上手かった選手で、

 

ノーマークでボールを貰えばほぼ確実に決めてくれる選手。

↓↓↓↓

 

しかし、先程の質問に対してジョーダンは何も答えずに無視。

 

パクソンがノーマークでも、パスをすることはほとんどありませんでした。

 

監督の指示を無視するほど、ジョーダンは自分で得点することに固執していたんです。

 

でも、大きな失敗を経験したジョーダンはそのこだわりを捨て「仲間を活かす」という選択肢を選びます。

 

また、ジョーダンが変化させたのはそれだけではありません。

 

ディフェンスやリバウンドや得点、とにかくチームが勝つために必要なことをは全て補ったんです。

 

僕がしっかりしないとチャンスを逃してしまう。

必要なことはなんでもした。ディフェンスにパス、得点…すべてだ。

自分ができることは何でもしようと思った。

-by マイケル・ジョーダン

ジョーダンが変化したという証拠はスタッツに現れています。

 

ピストンズに3年連続の敗退が決定した1989-90年ではこのような数字を記録。

 

平均得点 : 37.1

アシスト : 4.6

リバウンド : 5.2

スティール : 2.9

 

そして、チームのために変化すると決意した翌年の1990-91年では、

 

平均得点 : 35.0 (↓-2.1)

アシスト : 5.9 (↑+1.3)

リバウンド : 5.5 (↑+0.3)

スティール : 3.2 (↑+0.3)

 

という数字。

 

得点以外はすべて昨シーズンを上回ったんです!

 

さらに、それまでは「得点王」しか受賞したことなかったのに他のタイトルも受賞。

 

「MVP」

「得点王」

「ディフェンシブ・プレイヤー・オブ・ザ・イヤー(DPOY)」

「スティール王」

 

まさに有言実行の男。

 

ジョーダンが変わったことでチームは劇的に変化しました。

 

1990-91年プレーオフでまたしてもピストンズと対戦しますが、なんと4連勝して完全勝利を果たしたんです。

 

4回目の挑戦にして、やっと勝つことができたジョーダン。

 

この時のジョーダンはまさに “無双状態” 

 

ピストンズのエースだったアイゼイア・トーマスはこのように表現しています。

 

彼の目はこう言っていた。「お前らが何をしようと必ず倒してやる」彼がそういう状態になったらもう逃げるしかない。暴走列車と同じだ。

-by アイゼイア・トーマス (デトロイト・ピストンズ )
相手のエースに「もう逃げるしかない」と言わせるなんて。ジョーダン伝説恐るべし。

伝説17) 初のNBAチャンピオンで人目もはばからず男泣き

 

ピストンズに勝ったジョーダンは初のNBAファイナル進出が決定。

 

相手はスーパースターのマジック・ジョンソン率いる「ロサンゼルス・レイカーズ」です。

 

このころのマジック・ジョンソンはすでにNBAチャンピオンを5回も達成していました。

 

古株のスターであるマジックと、新参者のスターであるジョーダンの対戦ということで、

 

全米、いや世界中が注目していました。

 

この時のことをジョーダンはこう語っています。

 

プレッシャーはなかった。でも僕には大きな課題だったね。なにしろ相手は史上最高の選手だ。なんとしてでも勝ちたかった。

-by マイケル・ジョーダン 

ファイナルが始まると、ジョーダン率いるブルズはレイカーズを圧倒。

 

なんと4勝1敗で、念願のNBAチャンピオンに!

 

NBAの王座がマジックからジョーダンに移った瞬間です。

 

この時のことをマジックはこう語っています。

 

彼は成長し、私から王座を奪った。まさにもぎとられたよ。「マジック、俺の番だ!」と言わんばかりにね。

-by マジック・ジョンソン(ロサンゼルス・レイカーズ)

 

ジョーダンがNBAにデビューしてから、すでに7年が経っていました。

 

優勝が決定した瞬間に大喜び。

 

その時の実際の様子です。

↓↓↓↓

 

そして、トロフィーを抱きしめながら、人目をはばからず男泣き。

↓↓↓↓

 

なんてったって、7年間も追い続けたトロフィーですからね。

 

これまで挫折や苦悩、努力など、色んなものが込み上げてきて、涙を止めることができなかったのでしょう。

くっそ。これを書いていたら俺も涙が込み上げてきたぜ…ジョーダンおめでとう!

 

伝説18) 何度も挫折を味わいながら成功したスターに人々は感動して熱狂した

 

もし、ジョーダンがNBAにデビューしてからすぐにチャンピオンになっていたら…

 

おそらく、ここまで世界中で人気のある選手になっていないと思います。

 

7年もの間、失敗し続けた。 その失敗を乗り越えて、王座を手に入れたジョーダンの姿に人々は感動したんです。

 

「誰でも失敗したり、挫折することもある。でも、諦めないで努力すれば必ず報われる」

 

こんなメッセージを世界中に届けているようでした。

また涙が…ジョーダン最高。

伝説19) 念願のNBAチャンピオンになってもジョーダンは満足しなかった

 

念願の初優勝を手に入れたジョーダン。

 

しかし!!

 

ジョーダンは7年もの間、追い続けた王座を手に入れても満足しなかったんです!

 

それを物語るように、こんなコメントをしています。

 

頂点を極めたら、その地位を守りたくなるものさ。

-by マイケル・ジョーダン

 

なんということだ。NBAチャンピオンを手にしてまで満足しないとは…

 

頂点に立ったことないから、この気持がわからない…w

 

そして、ジョーダンは翌年の1991-1992シーズンで2連覇を達成のために大躍進していきます。

 

ただ、相手もジョーダンの2連覇を阻止しようと必死です。

 

そう簡単に2連覇はさせてくれませんでした。


伝説20) 立ち向かってくるものは徹底的に蹴散らす

 

初優勝を手に入れた翌年のシーズン。

 

他のチームは自由にジョーダンがプレーできないよう徹底的に潰しにかかりました。

 

それが特に際立ったのが、プレーオフで対戦した「ニューヨーク・ニックス」です。

 

このチームにはスター選手のパトリック・ユーイングが所属。

 

ユーイングとジョーダンはプライベートでも交流があるぐらいの友達でした。

 

しかし!

 

ユーイング率いる「ニックス」はジョーダンを自由にプレーさせないようラフプレーを強行します。

 

わざと殴っているかのような悪質なファールを何度もして、ジョーダンを止めにかかったんです。

 

でも、ジョーダンは逆境に立たされれば、立たされるほど燃えるタイプ。

 

「ニックス」のラフプレーに対して、逆に闘争心を駆り立てます。

 

そして、結果はジョーダン率いるブルズの勝利。

 

ジョーダンを止めるためのラフプレーだったのに、逆にジョーダンを爆発させるという結果になってしまったんです…w

 

このときのことをジョーダンはこう語っています。

 

ユーイングは親友だ。でも、あの年は何度が殴りたくなったよ。

-by マイケル・ジョーダン
ラフプレーでもジョーダンは止められない…まさに神。

 

伝説21) ライバルと呼ばれた相手選手を完膚なきまでに倒す

 

「ニックス」に勝利したジョーダンは2年連続でファイナル進出が決定。

 

相手はクライド・ドレクスラー率いる「トレイルブレイザーズ」というチームでした。

 

ドレクスラーはジョーダンと同じポジションのスター選手。

 

身体能力が非常に高くて、豪快なダンクが持ち味の選手でした。

↓↓↓↓

 

この時、ジョーダンとドレクスラーは「東のジョーダン」「西のドレクスラー」と比較されるような間柄。

 

世間は「ドレクスラーとジョーダンはどちらかが上なんだ?」という話題で持ち切りでした。

 

この時のことをジョーダンはこう語っています。

 

NBA一のガードがこれで決まると言われていた。この試合でその答えを示したかった。

-by マイケル・ジョーダン

 

ジョーダンは闘志むき出し状態。 ドレクスラーを完全にぶっ倒すつもりでした。

 

しかし、ジョーダンvsドレクスラーの下馬評はややドレクスラーの軍配が上がっていました。

 

なぜなら、ドレクスラーとジョーダンには決定的な違いがあったからです。

 

その違いとは「スリーポイント」です。

 

実は、ジョーダンはあまりスリーポイントが得意ではありません。

 

これまでの試合でもほとんど打つことがないくらいです。

 

しかし、ドレクスラーはスリーが得意。

 

なので、

 

「ジョーダン並の身体能力をもち、スリーも得意なドレクスラーの方が上」

 

という意見がやや多かったんです。

 

で、NBAファイナルが開幕。

 

すると、第1戦でドレクスラーが思わぬ行動にでました。

 

ジョーダンをディフェンスするときに距離を開けて、わざとスリーポイントを打たせようとしたんです。

 

こんな感じで。(実際の映像)

↓↓↓↓

 

しかも、この時に「スリー打ってみろよ。どうせ入らないんだろ」的なことを言って挑発します。

 

まるで「お前は俺よりもスリー入らないだろ。だから俺の方が上だ。」とでも言わんばかりに。

 

ジョーダンはこの挑発を受けて闘争心MAX状態になりました。

 

そして、この挑発を真っ向から受けてスリーを放ったんです!

↓↓↓↓

 

すると、そのスリーポイントがリングに吸い込まれました。

 

ジョーダンはドレクスラーの挑発を押しのけたのです!

 

しかし、この話はここで終わりません。

 

なんと、ジョーダンはさらにスリーポイントを放ち続けます。

 

気づくと、ジョーダンはこの試合の前半だけで6本ものスリーを決めて35得点の大活躍。

 

これにはさすがに、ジョーダン自身もびっくりしたようでこの表情。

(連続でスリーを決めた直後の表情)

↓↓↓↓

 

さらに、相手のベンチに向かってこう言い放ったそうです。

 

「俺は(スリーポイントシューターに)なろうとしなかっただけ」とw

 

ジョーダンにとってスリーポイントを打つことはドレクスラーの土俵で戦っているようなもの。

 

しかし、相手の土俵でも勝ってしまうのが「バスケの神様マイケル・ジョーダン」なんです。

 

もちろん、この試合はジョーダン率いるブルズが勝利。

 

最終的に、このファイナルを4勝2敗でブレイザーズを破り、NBA2連覇を決めました。

 

ジョーダンは第1戦で、スリーポイントを決めまくったことに関してこうコメントしています。

 

スリーポイントがフリースローのように感じた。外す気がしなかったよ。

-by マイケル・ジョーダン
NBAファイナルという大舞台でこそ、真の力を発揮するところが「バスケの神様」と言われる所以だよね!

伝説22) ジョーダンもびっくりの「ジョーダンフィーバー」

 

2連覇を達成した後、ジョーダンはアメリカ代表として1992年のバルセロナオリンピックに出場しました。

 

ラリー・バードやマジック・ジョンソンもアメリカ代表としてオリンピックに参加していて、「ドリームチーム」と呼ばれるほど豪華な顔ぶれでした。

 

そして、大会に参加するためバルセロナに到着したジョーダンは驚愕の光景を目にします。

 

なんと、ジョーダンを人目見るために、半端じゃない行列が出来上がっていたんです。

 

実際の光景がこちら。

↓↓↓↓

 

この大行列にはジョーダンもびっくり。

 

普段はアメリカで生活しているので、どれだけ自分が世界で人気があるのかをわかっていなかったそうです。

 

この時のことを、こうコメントしています。

 

どんな騒ぎが待っているのか、ヘリや車の行列を見るまで気が付かなかった。僕らの予想を上回っていた。

-by マイケル・ジョーダン

 

ちなみに、アメリカ代表は圧倒的な強さで金メダルを獲得。

 

決勝戦の相手はクロアチアだったのですが、117対85というスコアで快勝。

 

32点差もつけての優勝で、世界中にアメリカの強さを知らしめました。

 

ジョーダンはこのオリンピックで大学時代に出場したロサンゼルスの分と合わせて2個目の金メダルを獲得してるよ!

 

伝説23) マイケル・ジョーダンが神になる

 

1990-1991年シーズンと1991-1992シーズンで2連覇を達成したジョーダン。

 

ですが、2連覇を達成してもなお、ジョーダンについた火は消えません。

 

なんと、1992-1993シーズンでもNBAチャンピオンに。

 

3連覇を達成してしまいました。

 

誰がなんと言おうと、ジョーダンがNBA、いや世界の頂点に立った瞬間です。

 

この時、ジョーダンを止めれるような選手はいませんでした。

 

ファイナルで対戦した「サンズ」のポール・ウェストファルという監督はこんなコメントを残しています。

 

私たちは彼(ジョーダン)を止められない。誰も彼を止められない。

We can’t stop him. Nobody can stop him.

-by ポール・ウェストファル(サンズ監督)

 

相手チームの監督にこんなことを言わせるなんて…

 

この時のジョーダンの凄まじさを物語ってくれていますよね。

 

この時のジョーダンは絶頂期。まさしく「バスケの神様」という存在だったな。

伝説24) ジョーダン。突如やる気を失う

 

3連覇を達成した後、ジョーダンは急に “引退” を考え始めます。

 

ジョーダンは、この頃のことを振り返ってこうコメントしています。

 

責任や期待で精神的にまいっていたんだ。自分の来た道を忘れてしまった。頂点にとどまりすぎたために成長の過程を忘れたんだ。引退について父に相談したよ。

-by マイケル・ジョーダン

 

父に相談するほど、引退を考え始めたジョーダンですが「目標さえあれば続ける」と言って、 監督のフィル・ジャクソン と一緒に次の目標について考えたそうです。

 

しかし、2人とも次の目標が思いつきませんでした。

 

そして、ジョーダンはジャクソンにこんなことを言ったんです。

 

バスケをやりたいという情熱がなければ、退屈し才能も失う。

-by マイケル・ジョーダン
俺はこの時、現役を続けてほしかった…

このように、引退について悩み苦悩していたジョーダンですが、

 

誰も予想できないさらなる苦悩が彼を襲いました…

 

伝説25) 引退を迷っていたジョーダンを悲劇が襲う

 

なんと、ジョーダンの父であるジェームス・ジョーダンが何者かに殺害されてしまったんです。

 

これには、さすがのジョーダンも悲しみを隠せませんでした。

 

当時の心境について、こうコメントしています。

 

つらい時だった。だが顔を上げて明るい面を見ようとした。

父と過ごした時間、父が教えてくれたこと。

父はいつも言っていたんだ。

「ポジティブな面を見ろ」と。そうやって苦境を乗り越えたがやはりつらかった。

-by マイケル・ジョーダン

 

そして、ジョーダンはこれをきっかけに引退を決意。

 

1993年10月6日に引退会見を開き、こう言ったんです。

 

バスケット選手として勝利への意欲を失い、引退する時が来ました。

-by マイケル・ジョーダン

 

世界中のジョーダンのファンが悲しみにくれた瞬間です。

 

しかし、この会見ではジョーダンが世界に与えたのは「悲しみ」だけではありませんでした。

 

実は、バスケ選手の引退を表明したジョーダンは、その後に超びっくりな行動をとったんです…

 

ジョーダンの行動には本当に驚かされたぜ…

伝説26) おら、メジャーリーガーに目指すだぁ

 

ジョーダンはメジャーリーガーを目指すことを表明しました。

 

これには世界中がびっくり。

 

だって、この時のジョーダンは30歳。

 

バスケ選手を続けるならまだしも。

 

畑ちがいのメジャーリーガーを目指したんです。

 

ジョーダンはメジャーリーグに挑戦した理由についてこう語っています。

 

父が生きていた時に話し合ってたことだ。「バスケを辞めて野球界に入る」とね。

3連覇をした時、父から球界入りを強く勧められたんだ。当時、それより大きな挑戦を誰も示してくれなかった。だから、メジャーリーグを目指したんだ。

-by マイケル・ジョーダン

 

このように、父の助言に従って野球界入りしたと説明しています。

 

ただ、父の助言に従ったとはいえ、30歳からメジャーリーグに挑戦するなんて。

 

本当にジョーダンには頭が上がりません。

 

困難に挑戦することを生きがいにしているかのようですよね。

 

しかし、後になって、この頃を振り返ったジョーダンはこんな説明をしているんですよ。

 

野球のおかげで父と過ごした時間を、もう一度生きることができた。父はこころの中にいる。僕の成功はすべて父の教えのおかげだ。まるでセラピーのような期間だったよ。

-by マイケル・ジョーダン

 

実は、ジョーダンにとって野球をすることは癒やしになっていたんです。

 

それほど、ジョーダンにとってお父さんは大事な存在だったのでしょう。

 

メジャーリーガーになるためにマイナーリーグへ参加したジョーダン。

 

誰よりも速く練習場にいって自主練に励んでいたそうです。

 

しかし、そんな努力も虚しく、最終的にメジャーリーガーになる夢は叶いませんでした。

 

といいますのも、野球選手として活動している時にこんな行動を取ったから。

 

伝説27) 「おら、NBA選手に復帰するだぁ!」突然の復帰表明

 

1995年3月のこと。

 

ジョーダンが突然、野球を辞めてシカゴ・ブルズに復帰することを表明しました。

 

これには世界中が大騒ぎ。

 

なんてったって「バスケの神様」がコートに戻ってくるんですから!

 

でも、ジョーダン自身も復帰にびっくりしたんだとか。

 

突然の復帰に関して、こうコメントしています。

 

復帰は自分でも予想外だった。戻るとは思わなかったが、バスケを愛しているから戻った。

-by マイケル・ジョーダン

 

予想外の復帰をすることになったきっかけは、当時ブルズでプレーをしていた元チームメイト「B・J・アームストロング」との朝食だったんだとか。

↓↓↓↓

 

ジョーダンはある日、朝の7時に彼を朝食に誘いました。

 

2人が合流した時、ジョーダンはスーツを着ていたそうです。

 

他愛もない会話をしながらの朝食を食べていたのですが、 食べ終えた時にジョーダンがこんなことを言いました。

 

「チームの練習前に軽く遊ぼう」と。

 

そして、2人はブルズの練習が行われる体育館に行ってシュート勝負を始めます。

 

ジョーダンはスーツのまま。アームストロングは練習着を着て。

 

最初はただのシュート勝負だったのが、 どんどん白熱していって最終的には1on1をすることに。

 

これがきっかけで、バスケの楽しさを思い出したジョーダンは、なんとブルズの練習にまで参加するように。

 

そして、1995年3月にバスケ界への復帰を表明。 引退してから約2年後のことでした。

 

 

ジョーダンが復帰を表明したときは鳥肌が立ったぜ!

伝説28) 2年のブランクは”神”にとってなんの問題もなかった

 

ジョーダンが復帰を表明してから、多くの人が様々な物議をかもしました。

 

「2年のブランクがあるから、復帰しても活躍できないだろう」

 

「もはや昔のジョーダンではない」

 

「3年後は活躍できたとしても、さすがに復帰した年は無理だろう」

 

などなど。

 

でも、ジョーダンにとって “2年間のブランク” など、まったく関係のないものだったんです。

 

ジョーダンは、開幕戦からプレーオフまで怒涛の活躍ぶり。

 

まさに「神が戻ってきた」とでも言わんばかりに、昔のジョーダンを見せてくれました。

 

しかし!!!!

 

プレーオフに入ったときにジョーダンに悲劇が襲います…

 

伝説29) ジョーダンのミスでチームが敗北

 

これはブルズがプレーオフ2回戦で「オーランド・マジック」というチームと対戦した時の話です。

 

「マジック」との初戦はかなりの接戦でした。

 

試合時間は残り18秒。

 

スコアは91対90で、ブルズが1点リードの展開。

 

この場面でボールを受けたジョーダン。

 

昔のジョーダンであれば、この場面でミスをすることはありません。

 

しかし、この時のジョーダンは、そんな昔の姿からはかけ離れたものでした。

 

なんと相手のディフェンスにスティールされてしまい、 そのまま得点を許してしまったのです。

↓↓↓↓

 

これでスコアは91対92。

 

残り時間は6秒で、ブルズが1点ビハインドという最悪の展開になってしまいました。

 

でも、まだジョーダンにはミスを取り返すチャンスはあります。

 

6秒もあれば、シュートを決めるだけの時間としては十分。

 

そして “昔のジョーダン” であれば最も得意とするような場面でもあります。

 

これまでにも、残り時間わずかのところで何度もシュートを決め、チームを勝利に導いてきました。

 

ドリブルで攻めるジョーダン。

 

ジャンプシュートを打とうとして、フリースローラインあたりで飛び上がります。

↓↓↓↓

 

このままシュートを打つかと思いきや!

 

なんと、味方にパスをしちゃいます。

 

しかも、そのパスを味方がキャッチできずに、相手ボールに。

↓↓↓↓

 

これでブルズの負けが決定。

 

この初戦を落とした流れでブルズはマジックに連敗。

 

2勝4敗という結果で、この年のプレーオフが終わりました。

 

この結果に、ブルズのファンやジョーダンのファンは落胆。

 

「バスケの神様はもういない…」とみんなが思いました。

 

ただ、ジョーダンだけは違います。

 

これまでのストーリーで、何度も出てきたように「逆境であればあるほど燃える男」です。

 

ジョーダンは一度の失敗程度では、そう簡単に諦めません。

 

伝説30) 失敗がジョーダンに火をつけた!

 

復帰後、初シーズンを自身のミスで終えたジョーダンはこのようなコメントを残しています。

 

僕は混乱していた。ずっと鏡を見つめていたよ。期待に答えられず、昔に戻れないのではと思った。

ロッカールームで失望にひたり、来年は万全の態勢で試合に望むと自分に誓った。

-by マイケル・ジョーダン

 

この言葉どおり、ジョーダンは猛練習に打ち込みます。

 

次のシーズンまでの間、徹底的に自分を追い込み続けたんです。

 

この時のジョーダンを駆り立てたのは「昔の自分を取り戻したい」という気持ちだったようです。

 

毎日、練習に出かけて調整を重ね、昔の自分に戻らなくてはと思った。

まだ過去の異物ではないと証明するために意欲を燃やした。

-by マイケル・ジョーダン

伝説31) NBA史上初!復帰してからの優勝!

 

猛練習を積んだジョーダンは昔の自分を完全に取り戻します。

 

開幕から大活躍を見せ、シーズンMVPを受賞。

 

そして、プレーオフでは再度「マジック」と対戦。

 

去年の雪辱を晴らすような大活躍でマジックを撃破し、ファイナルへ進出。

 

ファイナルでは「スーパーソニックス」と対戦しましたが、ここでもジョーダンの活躍があり勝利。

 

見事、NBAチャンピオンに返り咲きました。

 

しかも!!!!

 

ブルズが優勝を決めた日は1996年6月16日の日曜日。

 

なんと、この日は「父の日」だったんです。

 

ジョーダンはこの特別な日に優勝できたことが、とても嬉しかった様子でした。

 

優勝が決まった直後、ウイニングボールを抱きかかえたまま長時間コートへうずくまって動きませんでした。

↓↓↓↓

 

そして、ジョーダンは優勝直後のインタビューで「初優勝と比べて、今回の優勝の気分は?」と聞かれた時に、こう答えています。

 

言葉にできないよ。父の日だから特別だ。この勝利は父に捧げるよ。

父が見守っていてくれたんだ。気持ちが抑えきれない。

-by マイケル・ジョーダン
なんて感動的なんだ…ジョーダンの凄さには震えるぜ…

 

伝説32) 翌年のファイナルで風邪を引いた状態で出場し、38得点をマーク。チームを優勝に導いた

 

復帰後、初の優勝を経験した翌年もブルズはファイナルに進出。

 

相手は「ユタ・ジャズ」というチーム。

 

第2戦までは2連勝して、完全にブルズの流れ。

 

しかし、第3戦と第4戦で2連敗をしてしまい、2勝2敗のタイ。

 

そんな中、第5戦の前日に、なんとジョーダンは食中毒で胃腸風邪をひいてしまいました。

 

「体調が悪い」と連絡を受けたトレーナーがジョーダンの自宅へ出向く。

 

そこには汗だくでベットに横たわっているジョーダンが。

 

この姿を見たトレーナーは監督のフィル・ジャクソンにこう連絡しました。

 

「第5戦にジョーダンは出場できない。不可能だ」と。

 

事実、ジョーダンはこの時、1人で歩くこともままらない状態でした。

 

ジョーダン不在で第5戦を戦うことになったブルズには不穏な空気が。

 

チームのみならず、ファンの間にも不穏な空気が流れていました。

 

しかし、試合直前のスタジアムにはジョーダンの姿が!

 

試合開始1時間半前に、自宅のベッドから起き上がりスタジアムに来たんだとか。

 

そして、ジョーダンは試合に強行出場。

 

最悪のコンディションにも関わらず、44分間もコートに立ち続け、38得点、7リバウンド、5アシスト、3スティールをマークする大活躍。

 

しかも、試合時間残り25秒で同点の場面で、ジャズを突き放す3ポイントシュートを決めます。

 

この3点差を守りきったブルズは第5戦を勝利。

 

この勢いのまま、第6戦も接戦の中、勝利して5度目のNBAチャンピオンになりました。

 

ジョーダンが食中毒で胃腸風邪を引きながらチームを勝利に導いた、

 

このファイナル第5戦は「The Flu Game」と呼ばれ、伝説の試合として語り継がれています。

 

後に、この試合のことを振り返ったジョーダンはこうコメントしています。

 

シュートできる限り、病気だろうが何だろうがチームのために出るよ。

-by マイケル・ジョーダン
ジョーダンかっこよすぎな…

伝説33) マイケル・ジョーダン、完全に神になる

 

5度目の優勝を経験した翌年、ジョーダン率いるブルズはまたもNBAファイナルに進出します。

 

相手は昨年と同じ「ユタ・ジャズ」。

 

3勝2敗で迎えた第6戦で、ジョーダンが驚きのプレーを見せます。

 

試合時間残りわずか。85対86でブルズが1点差を追う展開。

 

残り16秒あたりで、ジョーダンが相手選手からボールを奪います。

↓↓↓↓

 

そして、そのまま攻め上げ、相手を交わしジャンプショット。

↓↓↓↓

 

このシュートが入って87対86でブルズが1点のリードに。

 

このリードを守りきり、ブルズが優勝。

 

ジョーダンは通算6度目の優勝を果たし、 3連覇を2回も達成するという偉業を成し遂げました。

 

このシュートは「The Last shot」と言われ、ジョーダン伝説として語り継がれています。

 

ジョーダンが完全に「バスケの神様」となった瞬間だったな…

伝説34) ジョーダン、36歳で2度目の引退

 

2度目の6連覇を達成した後の、1999年1月13日に引退会見を開き、ジョーダンは引退を表明しました。

 

ジョーダンは、この会見で引退理由についてこう説明。

 

まだやれると知りつつ引退する。そういう終わり方を望んでいたんだ。

-by マイケル・ジョーダン

 

「バスケの神様」とまで崇められた選手だからこそ、プレーの質が落ち、醜い姿で引退するのは嫌だったんでしょう。

 

最後のファイナルで優勝を決める1本を決めてからの引退。

 

世界中のプロスポーツ選手の中で、こんなにかっこいい引退をする選手は2度と現れないと思います。

 

神様…いっぱいの感動をありがとう….

伝説35) 「おら、NBAに復帰します!」突然、2度目の復帰を表明

 

誰もが憧れる完璧な引退を演出したジョーダンでしたが、2001年(38歳)に2度目の現役復帰を表明しました。

 

ジョーダンは現役時代、ずーとブルズに所属していましたが、今回は「ワシントン・ウィザーズ」へ復帰しています。

 

実は、ジョーダンは2度目の引退後、「ワシントン・ウィザーズ」のオーナーに就任していたんです。

 

そして、それと同時に「ウィザーズ」のバスケットボール運営部門の社長にも就任していてました。

 

バスケットボール運営部門の社長に就任したことは、ジョーダンが選手の人事に関する責任者になったことを意味しています。

 

なので「どの選手を獲得するのか?」などの最終的な判断はすべてジョーダンが行っていました。

 

そんな立場にいたジョーダンは、なんと自分をチームに獲得させたのです。

 

自分で自分を獲得して、現役復帰するという超びっくりな行動を取ったんですw

 

復帰の理由については2つあったそう。 1つは「NHL選手のマリオ・ルミューの活躍に触発されたから」とのこと。

 

そして、もう1つはNBAに入りたての若手選手たちに「あなたが現役だったら、私はあなたを止めてれていたよ!」と言われて「負けず嫌い」の性格に火が付いたからだそうですw

 

負けず嫌いにも程があるぜ…バスケの神様よw

 

伝説36) 正真正銘、本当に引退する

 

復帰した当初は「チームをプレーオフに導く」という目標のもと、現役復帰したジョーダン。

 

実は、「ウィザーズ」はプレーオフにも出場できないほどの弱小チームだったんです。

 

ですが、復帰してから2シーズン目を迎えても、その目標が達成されることはありませんでした。

 

この時、ジョーダンの年齢は40歳。

 

さすがに、現役を続けるのは難しく、引退を表明。

 

これ以降、ジョーダンが現役に復帰することはありませんでした。

 

彼の名誉のために言っておくと、40歳という年齢ながら1試合平均23点を記録しています。

 

ジョーダンのこれまでの記録をみると、寂しい気もしますが、普通のレベルで考えると十分に凄い記録です。

 

体は衰えても、様々な逆境や失敗を乗り越えて手に入れた「技術」は衰えていなかったのでしょう。

 

もう1回現役復帰してくれたら嬉しいな…w

マイケル・ジョーダン伝説!番外編

 

「ジョーダン伝説!NBAに入ってから引退するまで編」はいかがでしたでしょうか?

 

まさに「バスケの神様」と呼ぶにふさわしい活躍ですよね。

 

個人的には世界中のスポーツ選手のなかで、1番凄いのはジョーダンだと思っています。

 

それくらいジョーダンが好きですw

 

では、これからはちょっと面白い、ジョーダン伝説の番外編を書いていきますので、お楽しみに!

 

伝説37) ジョーダンはルーキー時代、毎試合罰金を払っていた

 

実は、ルーキー時代のジョーダンは毎試合、ある規則違反をしていたんです。

 

その規則違反の原因はジョーダンが履いていたバッシュ。

 

「エアジョーダン」という赤と黒のナイキのバッシュを履いていたのですが、これが規則違反だったんです。

 

このバッシュです。

↓↓↓↓

 

実は、当時のNBAには「白以外のシューズを履いたらダメ」という規則があったんですよ!

 

だから、ジョーダンは毎試合規則違反をしている状態だったんです。

 

しかも、毎試合約5000ドル(約40万円)もの罰金を課せられていたんだとか。

 

これにはびっくりですよねw

 

とは言っても、この罰金はジョーダンが払ったわけではないそうです。

 

ジョーダンと契約していた、ナイキが払い続けました。

 

まぁ、ジョーダンが払い続けていないとはいえ、

 

「会社にとって相当な痛手じゃない?総額いくら払ったの?」

 

と思うじゃないですか?

 

ところがどっこい。

 

ナイキとジョーダンは “あえて規則違反をしていた” と言われています。

 

なんでそんな風に言われているのかというと、

 

赤黒の「エアジョーダン」を履き、毎試合罰金を払っていることが話題になったんです!!

 

「エアジョーダン」に「Banned(禁じられた)」というニックネームが付いたほどに。

 

そうなると「エアジョーダン」の宣伝効果は抜群ですよね。

 

しかも

 

「規則違反にも関わらず、履き続けるジョーダンの反骨精神」

 

がアメリカの子供たちを魅了しちゃうという副産物まで産まれました。

 

おそらく、子供たちには、悪へ立ち向かうヒーローのように見えたんでしょうね。

 

さらに「エアジョーダン」を履いたジョーダンはいつも大活躍。

 

なので、結果的にブランドイメージはアゲアゲで、爆発的ヒットを記録したんです。

 

ということで、ナイキからすれば、毎試合約5000ドル(約40万円)程度の罰金なんて痛くも痒くもなかったんですよ。

 

規則違反を利用してブランドイメージを上げるなんて。なんてずる賢い作戦だ。いつか真似しよw

 

あと、ジョーダンが「エアジョーダン」を履く前についての豆知識を紹介します。

 

実は、NBA入りする前のジョーダンは “アディダス・ナッツ(アディダス信者)” と呼ばれるほど、「アディダス好き」で有名だったんです。

 

ナイキもこのことは知っていましたが、あることがきっかけで「ジョーダンと契約したい!」と強く思うようになりました。

 

それは、84年ロサンゼルスオリンピックのこと。

 

当時大学生だったジョーダンが、アメリカの金メダル獲得に大きく貢献する姿を見てしまったんです。

 

その姿を見たナイキはジョーダンの将来性に希望を感じ、契約することを望みました。

 

しかし!!

 

先程も言ったように、ジョーダンはアディダス派の人間。

 

生半可なことではジョーダンと契約することができないことを知っていたナイキは破格の条件を提示します。

 

その条件が「5年間で約2億円」「特別なシューズ・ウェアの制作」だったんです。

 

金額は当時のレートで言えば破格。

 

しかも、まだNBAデビューもしていない新人にオリジナルシューズとウェアを提供するという異例のオファー。

 

これを見れば、ナイキがどれだけ本気だったのかが伺えますよね

 

もはや会社の未来をジョーダンに託すような勢いです。

 

この条件にOKを出したジョーダン。

 

で、登場したのが「エアジョーダン」という赤黒のバッシュなんです。

 

当時のナイキの行動を見れば「おいおい。活躍するかわからん大学生とそんな契約しても大丈夫か?」と思った人は多いでしょう。

 

しかし、蓋を開けてみれば大成功どころか、大大大成功。

 

なんてったって、上手い大学生が “世界一のバスケ選手” に成長したんですからね。

 

世界でも稀に見る大成功を収めた投資だったのではないでしょうか?

 

俺がナイキの社長だったら、そんな賭けのようなことはできん!ビビリだからw

伝説38) ジョーダンが長いズボンを履き始めたから、NBAのユニフォームも長めのズボンになった

 

当時、NBAではこんな短いユニフォームで試合をしていました。

↓↓↓↓

 

しかし、ジョーダン1人だけがぶかぶかで長目のパンツを履き始めるとそれが流行し始めます。

 

そして、最終的には、NBAのユニフォームが長めのパンツに変更されました。

 

こんな感じのパンツ。

↓↓↓ ↓

 

NBAの公式ユニフォームを変更させてしまうほど、

 

ジョーダンの影響力が凄かったことを物語るエピソードですね。

 

NBAのユニフォームを変えてしまうなんて…どんだけぇ〜w

伝説39) スーパースターなのにテレビに写ると嬉しがる

 

現役時代のジョーダンは異常な人気ぶりで、

 

アメリカのみならず、世界中がジョーダンに熱中していました。

 

もの凄い人気だったので「テレビとかに飽き飽きしているだろうな」と思いきや。

 

意外にも、テレビに出演したりするのは嬉かったそうです。

 

田舎育ちをしていたから、その時の感覚が常に残っていたんでしょうね。

 

ジョーダンはこんなコメントを残しています。

 

CM出演や、街で自分のポスターを見るのは嬉しい。僕は田舎育ちだからテレビ出演は夢みたいだよ。

お高くとまるのは柄じゃない。人付き合いが好きだし、子供も好きだ。

「マイケル・ジョーダン」
スーパースターなのに、こんな可愛いコメントするところが愛着が持てるところなんだよね〜。

伝説40) 今でもジョーダンの年俸がNBA史上最高額!

 

ジョーダンの最高年俸額は1997/98シーズンに契約した3310万ドル(日本円 36億円)です。

 

これはNBA史上最高額の年俸で、今でもこれを超える年俸をもらっている選手はいません。

 

これがどれくらい凄い年俸かというと。

 

当時、NBAのには29チームあったのですが、

 

その内の19チーム、各チームが所属選手に払っている年俸総額よりもジョーダン1人の年俸が多かったそうです。

 

つまり、1チームにだいたい15人はいるので、15人の年俸を足してもジョーダンの年俸に及ばなかったんです。

 

ジョーダン凄すぎw

 

ちなみに、現在のNBAでの最高年俸額はレブロン・ジェームズの約3095万ドル(日本円 34億円)です。

 

スポエモンの豆知識!NBAの年俸って世界中のプロスポーツの中で1番多いんだよ!

伝説41) トラッシュトークで相手の人生を破壊

 

ジョーダンはコートの外ではかなりの人格者として有名ですが、

 

一旦コートに入ると激しく相手を罵倒する「勝負師」に変貌します。

 

実は、その激しい罵倒を受けて、バスケ選手として再起不能になった選手がいるんです。

 

マグジー・ボーグスという選手がその被害者。

↓↓↓↓

 

この選手は「ホーネッツ」に所属していた選手で、歴代のNBAで最も身長が低かった選手として有名。

 

なんと身長は160cmしかないんです。

↓↓↓↓

 

ジョーダンはこの選手と1995年のプレーオフで対戦。

 

シリーズ1勝2敗のホーネッツ崖っぷちで迎えた第4戦で事件は発生しました。

(当時の第1ラウンドは5戦3勝制)

 

ホーネッツ1点ビハインドという、この試合最も大事な局面で、ボールがマグジーの手に渡った時のこと。

 

ディフェンスについていたジョーダンは、わざとマグジーにスペースを与え、彼に向かってこう言ったんです。

 

打ってみろよ、このクソチビ野郎が

shoot it, you f—ing midget

-by マイケル・ジョーダン

この言葉を受けて、シュートを打ったマグジーでしたが、大きく外れてしまいホーネッツは敗退しちゃいました。

 

これ以降、マグジーはこれがトラウマとなり、まともにシュートが打てない状態に。

 

そして、ほどなくしてNBAから姿を消しました。

 

マグジーは「あのプレーが俺のバスケキャリアをむちゃくちゃにした」とコーチに語ったそうです。

 

伝説42) トラッシュトークで味方の人生も破壊

 

ジョーダンが人生を破壊したのは相手チームの選手だけではありません。

 

なんと味方の人生まで破壊したんです。

 

その選手の名は「ロドニー・マックレイ」。

 

ジョーダンはチーム内の練習試合で、彼と違うチームになると

 

「お前は負け犬だ。生まれたときから負け犬だ」

 

と叫び続けたんです。

 

このせいで、マックレイはジャンプショットが打てない選手になってしまいました。

 

そして、ほどなくしてNBAから姿を消したとさ…w

 

ジョーダンからすれば「この程度でメンタルやられるようならNBAでは通用しないぞ!」と言いたかったのかもしれないですね…

伝説43) 現在のNBAにスキンヘッドの選手が多いのはジョーダンの影響

 

今でこそNBA選手でスキンヘッドの人は多いですが、当時はそうではありませんでした。

 

どちらかというと、髪を生やしている人が多かったです。

 

アフロとかボックスという髪型が流行っていた印象があります。

↓↓↓↓

アフロ

 

ボックス

 

実は、ジョーダンもNBAに入ったときは髪の毛がありました。

 

坊主ぐらい短かったですけどね。

 

でも、途中からちょっとハゲてきたのが嫌になってスキンヘッドにしています。

 

すると、他の選手たちもジョーダンを真似して、スキンヘッドをするようになったんです。

 

そして、徐々にNBAでスキンヘッドが流行るように。

 

また、ジョーダンがきっかけで流行ったものはスキンヘッドだけではありません。

 

他にも、バギーパンツというものを流行らせたのもジョーダンなんです。

 

つまり、ジョーダンは当時、流行物の発信源だったんです!!

 

今でいうカリスマファッションモデル的?な感じだったんですよ〜。

 

ある雑誌の編集者をやっていたフィル・テイラーという人はジョーダンに対してこのようにコメントしています。

 

独特の個性がある。才能とカリスマ性のせいで何もかもがクールに見える

-by フィル・テイラー(雑誌編集者)

伝説44) ジョーダンは空中で観客を魅了した

 

1980年代のNBAには2人のスーパースターがいました。

 

1人目は先程もでてきたラリー・バード。

 

そして、もう1人がマジック・ジョンソンです。

 

この2人は実力・人気ともに超がつくスーパースターで「NBAの2大巨塔」と言っても過言ではありません。

 

しかし!!!

 

そこに割って入っていったのがジョーダンです。

 

急激に成長し実力・人気ともに、自分へ追いついてきたジョーダンに対してマジックはこのようにコメントしています。

 

コートの上で観客を魅了する選手が2人いた。私とラリー・バードだ。

だがマイケルは空中で観客を魅了する

-by マジック・ジョンソン

 

すごいおしゃれな言い方じゃないですか? 私、このセリフすごく好きなんですよね。

 

マジックはパスが得意で、ラリーはシュートで得意。

 

だから「コートの上で観客を魅了する」という表現に。

 

一方で、ジョーダンは「エア・ジョーダン」というシューズが発売されるほど「ジャンプ力」が凄かった。

 

豪快なダンクやダブルクラッチで華麗に相手をかわすプレー得意だった。

 

だから「マイケルは空中で観客を魅了する」という表現をしたんです。

 

おしゃれだと思うあなた…気が会いますねw

 

三人のプレーをまとめた動画を貼っておきますので、興味のある方は見てくださいねー!

 

これを見たら「空中」と「地上」の違いがはっきりとわかりますよ!

 

ラリー・バードのプレー集

 

マジック・ジョンソンのプレー集

 

マイケル・ジョーダンのプレー集

 

伝説45) 競争馬のように練習していた

 

これはジョーダンが所属していた「シカゴ・ブルズ」にて1989年〜98年まで10年もの間、監督を勤めたフィル・ジャクソンの言葉です。

 

競走馬のように訓練していた。困難にぶつかるほど熱心になるんだ。

「ジョーダンのブルズ時代の監督フィル・ジャクソン」

 

いやー、監督にこんなことを言わせるなんて、本当に生半可な努力じゃなかったと思いますよ。

 

だって、NBA選手ともなれば、誰しもが努力するでしょうし。

 

努力できない人はNBAで生き残っていけないでしょうからね。

 

この言葉から「周りよりも2倍、3倍は努力してた」ってことが感じ取れますね。


伝説46) 辞書にバスケット選手の項目があるならジョーダンが掲載されるとライバルに言わせた

 

「デトロイト・ピストンズ」に所属していたグラント・ヒルという選手がいます。

 

この選手がこのような発言をしました。

 

 

マイケルはあらゆるプレーの達人だ。辞書にバスケット選手の項目があるとすれば、彼の写真が載るね。

-by グラント・ヒル(デトロイト・ピストンズ)

 

ライバルにこんなことを言わせるなんて凄いですよね…

 

ジョーダンの圧倒的な実力や人気を物語ってくれるセリフです!

 

ちなみに、俺も辞書にバスケット選手の項目があったらジョーダンを載せることに1票入れますw

伝説47) 他チームの監督がジョーダンを尊敬しすぎて23番を永久欠番にした

 

永久欠番ってどういう意味かわかりますか?

 

チームで、特に活躍した選手の背番号を「今後、誰もこの背番号をつけることは許されない」という風にすることです。

 

そして、永久欠番になった選手のユニフォームは、チームのホームスタジアムに飾られます。

 

もちろん、ジョーダンが付けていた23番はブルズで永久欠番になっています。

 

ですが、ジョーダンが付けていた23番は「マイアミ・ヒート」でも永久欠番になっているんです。

 

ジョーダンが2度目の復帰をして、引退を表明していた最後のシーズンのこと。

 

ヒートのホームスタジアムで対戦することがありました。

 

この時、当時のヒートHC、パット・ライリーがジョーダンに尊敬の意を込めて23番を永久欠番にしたんです!

 

試合前に永久欠番セレモニーが行われて、パット・ライリーはジョーダンに対してこんな言葉を残しています。

 

君の偉大さ、そして君がバスケの試合で成し遂げてきた全てのことを祝福させてくれ。

NBA界だけにとどまらず、世界中のファンに影響を与えてきた。

君を称え、23番のジャージを吊るします。

これで、ヒートでは誰も23番のユニフォームを着ることができなくなった。 君がベストだ。

「-by パット・ライリー(ヒートHC)」
他チームで永久欠番になるなんて、ジョーダンの影響力半端ねぇw

マイケル・ジョーダンのプロフィールや受賞歴まとめ

 

マイケル・ジョーダン伝説はいかかでしたか?

 

だいぶ長かったので疲れたでしょうw

 

でも、まだまだジョーダンの伝説はあるんです。

 

今回はちょっと書ききれなかったので、時間があったら違う記事にまとめたいと思います!

 

では、最後にマイケル・ジョーダンのプロフィールや数々の受賞歴などについてまとめて終わりたいと思います。

本名 マイケル・ジェフェリー・ジョーダン
本名(英語) Michael Jeffrey Jordan
国籍 アメリカ合衆国
誕生日 1963年2月17日
出身地 ニューヨーク州ニューヨーク市 ブルックリン区
学歴 レイニー高校 卒業
ノースカロライナ大学 中退
身長 198cm (6 ft 6 in)
体重 99kg (218 lb)
足のサイズ 31.0cm
最高到達点 約392cm(全盛期)
NBAドラフト 1984年 全体3位
選手経歴 1984-1993 シカゴ・ブルズ
1995-1998 シカゴ・ブルズ
2001-2003 ワシントン・ウィザーズ
受賞歴
  • ・NBAチャンピオン6回 : 1991~1993, 1996~1998
  • ・NBAファイナルMVP6回 : 1991~1993, 1996~1998
  • ・シーズンMVP5回 : 1988, 1991, 1992, 1996, 1998
  • ・NBA最優秀守備選手賞 : 1988
  • ・得点王10回 : 1987~1993, 1996~1998
  • ・スティール王3回 : 1988, 1990, 1993
  • ・NBAオールスターゲーム出場14回 : 1985~1993, 1996~1998, 2002, 2003
  • ・NBAオールスターゲームMVP3回 : 1988, 1996, 1998
  • ・NBAスラムダンクコンテスト優勝2回 : 1987, 1988
  • ・新人王 : 1985
  • ・NBAオールルーキーチーム 1stチーム : 1985
  • ・NBA50周年記念オールタイムチーム : 1996
  • ・背番号23 シカゴ・ブルズ永久欠番
  • ・背番号23 マイアミ・ヒート永久欠番
  • ・背番号23 ノースカロライナ大学永久欠番
  • ・USAバスケットボール男子年間最優秀選手2回:1983, 1984
  • ・NCAAチャンピオン : 1982
通算成績
  • ・プレー年数:15シーズン(84-85~92-93、94-95~97-98、01-02~02-03)
  • ・試合出場数:1072試合
  • ・通算出場時間:4万1011分
  • ・1試合平均得点:30.12点(歴代首位)
  • ・フィールドゴール成功率:49.7%(12,192 / 24,537)
  • ・3ポイントシュート成功率:32.7%(581 / 1,778)
  • ・フリースロー成功率:83.5%(7,327 / 8,772)
  • ・2ポイントシュート成功率:51.0%(11,611 / 22,759)
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どうも!スポエモンです!小学校からバスケを始めて、バスケ歴は25年。小4の時に足が速かったことから陸上部からしつこい勧誘を受けて入部。それからは陸上とバスケの2刀流生活がスタート。50mの自己ベストは6秒3で、バスケの最高成績は全国ベスト8!スポーツ大好きの私は体育大学に進学し、体育の教員免許を取得。でも、ふとした時に人生を振り返ってみるとほぼスポーツしかしていないことが判明。「スポーツ以外のことも経験してみたい!」との思いから、スポーツと真逆のIT会社に就職。このスポーツ三昧の人生を何かに活かせないかと思い、スポズバの開設を決意しました。スポズバでは私のスポーツ人生で得た知識や成功体験などをズバッ公開していきます!

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小4の時に足が速かったことから陸上部からしつこい勧誘を受けて入部。

それからは陸上とバスケの2刀流生活がスタート。

50mの自己ベストは6秒3で、バスケの最高成績は全国ベスト8!

スポーツ大好きの私は体育大学に進学し、体育の教員免許を取得。

でも、ふとした時に人生を振り返ってみるとほぼスポーツしかしていないことが判明。

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